合併が繰り返された新潟市

新潟県は自然が多く、どちらかといえば田舎のイメージを持つ人が多いと思います。
しかし、県としては、「日本海側の玄関口として、多くの人や物が交差する、その中心となるような巨大な都市として新潟県を発展させたい」という目標を掲げています。

その目標達成のために、新潟県は昭和から平成へと時代が移る中、多くの市町村の合併を行ってきました。
2000年まで100以上あった市町村数は、今では30にまで減少しており、あまりにも多く合併したため、新潟県民でさえも今どこまでが新潟市なのか分からない…そんな状況になっているそうです。

新潟市の合併の歴史

そんな新潟市の合併ですが、実はここ数十年で行われたことではなく、明治時代には既にその動きが始まっていました。以下に簡単にその経緯を紹介します。

明治時代の合併

この時代の新潟県の町村は全国的に見ても小規模で、一村に一学校を設置する予算もなく、学校や教員が足りない状況でした。
より強く大きい村に変える必要性を感じた県は、1901年に町村を合併し、新潟市は1市67町村となりました。

大正時代の合併

早くから合併を望んでいた声のあった新潟市と沼垂町。
信濃川を挟んだ二つの都市の間には過去多くの争いがあり、反対の声もありましたが、最終的に1914年4月に合併しました。

昭和の大合併

近隣町村を合併することで大都市化し、市町村財政の強化と市町村権限の拡大を図るため、昭和20年代後半から30年代の前半にかけ、強力に合併が進められました。
1954年にこの合併の動きは一旦停止しましたが、1956年の「新市町村建設促進法」施工をきっかけに、再度合併の動きが活発になりはじめます。

平成の大合併

道路網などの発達により生活範囲が拡大してきた住民たちは、大半の時間を新潟市で過ごす一方、他市町村民であるために十分な行政サービスを受けられないという問題がありました。

この問題をきっかけに、再び2001年から合併の動きが活発化。
こうして現在の新潟市の地域へと発展していくことになったのです。

合併の先にあるもの

合併の動きを見ていくと、新潟県は昔から合併が進んでいた地域であることが分かりますね。
また、積極的に合併を行っていく姿勢からは、県の住民の期待に応えようという意思や、交流拠点としての役割を果たすために強く大きな都市にしたい、という考えが表れているように感じます。

今となっては政令指定都市となった新潟市ですが、その実現には新潟100万都市構想という計画が立てられていました。最後に新潟100万都市構想について見ておきましょう。

新潟100万都市構想を掲げた県の思い

新潟市は2007年に政令指定都市になりましたが、当初、政令指定都市の要件を満たすためには、将来的に人口が100万人を超える見込みがある都市でなくてはならない、といわれていました。

日本海側の玄関口として、新潟を国際交流の起点になるような強固な場所にしなければならない、と感じていた新潟市は、政令指定都市へ指定されることを目標にし、「新潟100万都市構想」として”緑豊かな国際商業都市を目指して”という提言書を作成するなど、多くの地域との協力を計画しました。

いろいろな合併の歴史を経て、現在の新潟市となっているのです。