越後守護職・上杉房能の妻が広めて…

新潟県のほぼ中央部に位置する柏崎市女谷(おなだに)で室町期から継承されている古典芸能があります。それが「綾子舞」です。 諸説ありますが、1509年に越後の守護職・上杉房能が家臣に裏切られて自害した際に、妻・綾子が女谷へ落ちのびたのち、この地で舞踊を広めたという説が有力です。綾子が広めた舞、すなわち「綾子舞」というわけです。 この芸能は下野(しもの)と高原田(たかんだ)の2つの地域で500余年の長きにわたって各々の特徴を熟成させつつ座元によって今日まで継承されています。

小歌踊・囃子舞・狂言…3つの踊り

綾子舞とは、女性が踊る「小歌踊」、男性が踊る「囃子舞」、そして「狂言」という3種類の構成によるものです。それぞれに注目ポイントがあります。 まず「小歌踊」です。若い女性2~3人が手に扇を持ち、腰を落とした低い姿勢で足を交差させながら踊ります。小唄の旋律に乗って優雅に踊るのがこの舞の見所です。 次に「囃子舞」です。こちらは男性1人による踊りで、同じ振りを繰り返す型と動物または空想上の生物の真似をして踊る型の2種類があります。こちらは明るい旋律に乗って華々しく舞うのが見所です。 最後に「狂言」です。能狂言風と地狂言風の2種類があります。一般的な洗練された様式の狂言とは異なり、昔ながらの庶民性が色濃く残った、はつらつとした舞が見所です。

専門家筋の注目度も高く…

歌舞伎の開祖である出雲の阿国は、17世紀初頭に幼女が赤布を頭に付けて舞う「ややこ踊」の要素を取り入れた「女歌舞伎」を全国各地に広めました。この「ややこ踊」の名前は綾子舞が語源という説もあるため、そういった意味では綾子舞が歌舞伎の発祥に一役買ったとも考えられます。それだけに学者や研究者の注目度も高く、1975年には重要無形民俗文化財の第1号にも指定されています。 伝統芸能の総本山・歌舞伎の歴史の源流には、女谷の綾子舞があったのです。