江戸の物流を支えた北前船の寄港地「新潟湊」

日本で物流システムが確立し、人や物の移動が格段に増えたのは江戸時代のことです。1670年代、商人かつ海運・土木事業家である河村(かわむら)瑞賢(ずいけん)(1618年~1699年)が、幕命により航路を開拓した「東廻り廻船」 ※1 「西廻り廻船」 ※2 をはじめ、大坂~江戸間を結び、日常消費物資を江戸へ輸送した「菱垣(ひがき)廻船」、同じく大坂から江戸へ酒を運んだ「樽(たる)廻船」などにより、様々な物資が行き来するようになります。 ※1日本海沿岸の港から江戸に至る航路。 ※2北海道を含む日本海沿岸の各港から、日本海を通り、瀬戸内海を経て大坂に達する航路。 北海道や東北の産物を運んでいたことから、上方(京阪地方とその付近)などでは「西廻り廻船」を「北前船」と呼んでいました。この廻船の大きな特徴は、運送料を利益とするのではなく、船主が荷主として荷物を買って、運んで売る「買い積み」を行っていたことです。北前船の商人は、それぞれの港で産物や商品を買い入れ、高く売れる土地へと運び、大きな利益を得ていました。

江戸の物流を支えた北前船の寄港地「新潟湊」

新潟湊(現在の新潟港)は北前船の中継基地のひとつで、特に松前藩 ※ との取引で大いに栄えました。主力商品はもちろん「米」であり、輸送先は現在の北海道や関西です。新潟県では安価な米も当時稲作をしていなかった北海道では高く売れたため、かなりの利益を得たそうです。 ※ 福山藩とも呼ばれる。福山藩は江戸時代、蝦夷地松前地方~当時の北海道を領有していた。 さらに北海道ではニシン・サケ・昆布などの海産品を仕入れ、上方では織物・酒などを仕入れて売ることで、新潟湊をはじめ、日本海側の各港は大きな賑わいを見せます。また北海道のニシンは、主に西国で木綿栽培などの肥料として大量に使われました。江戸時代、魚肥(魚を原料として作った肥料)は農産物の収穫量アップに欠かせない商品だったため、ニシンは北前船に莫大な利益を生み出す交易品となったのです。

北前船に一攫千金をかけた商人たち

ちなみに、北前船には別の側面もあります。北前船は、後に日本の経済を支える「加工貿易(原料や半製品を輸入し、自国で加工した後、製品として輸出する)」の原型でもありました。たとえば、山陰や関西の鉄は三条などで加工され、その後北前船に乗って運搬され、製品として流通したと考えられています。 北前船で成功すれば大きな富を得ることができることから当時、一攫千金を狙い、船を買い、貿易を始める人は少なくなかったようです。とはいえ、船が難破してしまえば大きな損害を被り、遭難すれば命を失いかねません。また各地の情報や時流を読む商才も必要であり、新潟県は古くから才能ある商人たちが集う都市だったのです。 新潟湊には、小澤七三郎、伊藤助右衛門(1887~1967)ほか、危険と背中合わせの北前船で日本海に乗り出し、成功をおさめた商人たちがいます。 もしあなたがU・Iターン転職を考えていたら、日本の物流を支えた先人たちのように新潟県で新たな道を切り拓いてみてはいかがですか。新潟県の持つポテンシャルが、一攫千金のチャンスにつながるかもしれません。