素朴ながら清々しい味わいが魅力の「笹団子」

数枚の笹の葉に俵型の餅をくるみ、イグサやスゲなどでくくって蒸した「笹団子」は、新潟県の代表的な郷土菓子です。包みを開くと、お餅からは笹の清々しい香りが漂ってきます。 このお菓子は、粳米(うるちまい)と糯米(もちごめ)の粉、さらにすりつぶしたヨモギの葉を一緒にこねたお餅がベース(白玉粉と砂糖を加えることも)。かつてヨモギの代わりに山ゴボウの葉を入れていたという話もあるそうです。 中にはつぶ餡、またはこし餡が入っており、もっちりとしたお餅の食感、そこから溢れだす餡の程よい甘味が、素朴で懐かしい味わいを醸し出します。 笹団子は、もともと端午の節句といったお祭りに供えられていました。また、農作業中の間食としても食されていました。中身は小豆餡が一般的ですが、かつては梅やおかか(かつお節)、味噌、ゴマ、きんぴらなどさまざまな具を入れ、おにぎりのように食べていたそうです。甘い餡が用いられるようになったのは、砂糖が普及する明治に入ってからのようで、一部の地域では餡入りのものを「女団子」、きんぴらのもの(何も入っていないものも含む)を「男団子」、また中身があんこ以外のものを「あえもん団子」と呼んでいます。 近年はお土産としても人気が高く、笹団子の中身にも茶豆や野菜、海産物の煮物が使われており、珍しいものでは「カレー」の入っている製品もあるそうです。

あの上杉謙信も笹団子を食べていた!?

「笹団子がいつ頃から食べられていたのか?」には諸説あり、はっきりとしたことは分かっていません。ただ、「米や周辺でとれる植物を使い手軽に作ることができたため農民の間に広まった」「戦国時代に合戦用の携帯保存食として作られた」という説などがあります。 合戦用の携帯保存食の説に関しては「戦国武将の上杉謙信(1530年~1578年)が戦場に赴く際、保存食として携行した」という話が伝わっており、『北越軍記(北越軍談とも。江戸時代に成立した軍学書)』によると、謙信に仕えた宇佐美定満が笹団子を考案して、上杉軍の兵糧に採用されたと記されています。 また、『北越風土記(江戸時代中期の書物)』によると、柿崎(現・新潟県上越市)城主に仕えた菓子職人が笹団子を考案して、上杉謙信に献上したとあるそうです。また、北越風土記にも上杉軍兵士が笹団子を携行したと書かれていることから、野戦食(レーション)としても食されていたことが分かります。笹で包みこむため防腐・殺菌作用が期待できること、手頃な形で持ち運びにも便利だったことがその理由として考えられます。 関東管領として、北条氏康、武田信玄、織田信長らと対峙した謙信は、特に信玄と死闘を繰り広げた「川中島の戦い」で知られています。確実な資料は見つかっていませんが、戦上手と謳われた謙信だけに、戦場で笹団子を食した可能性もあるのではないかと思われます。

絶品の笹団子を支えるのは新潟の「米」

笹団子の味を支えているのは、米どころといわれる新潟県の「お米」です。信濃川や阿賀野川が作り出す「肥沃な大地」、豊富な養分の溶け込んだ「雪解け水」、登熟期(穂が出た後に実る期間)の平均気温が米作りに最適な24.5℃であり、この時期の気温の日較差が大きいという「理想的な気候」が揃っているからです。土壌・水・気候の三拍子が生み出す美味しいお米があるからこそ、笹団子は新潟県の名産になったといえるでしょう。