越後の英雄・上杉謙信 「義」の武将

新潟県には歴史に残る人物が数多く存在します。中でも有名なのは、「軍神」「越後の龍」(文献によっては『越後の虎』)と呼ばれている戦国大名「上杉謙信」でしょう。織田信長、武田信玄をはじめ、名だたる武将が群雄割拠する時代において、勇猛さと天性の軍事的才能を持った最強の武将の1人に数えられています。 その一方で、上杉謙信といえば「敵に塩を送った」「私利私欲よりも大義名分を重んじた」義の武将とされ、権威や伝統を重んじる古風な精神を持つ人物と称されています。 今回は、上杉謙信のゆかりの地である「春日山城」を紹介していきましょう。

上杉謙信が生まれ、その生涯を過ごした春日山城

春日山城は、上杉謙信が生を受けた城です。長禄年間と呼ばれる時代(1457~60年)に、謙信の父である長尾為景が築城したといわれています。 標高180mに建つ山城で、山頂に本丸、自然地形を活用して大小200以上の曲輪(城や砦の周囲にめぐらした土石の囲い)、空堀(水のない堀)、土塁、大井戸を設けた難攻不落の城だったそうです。為景以下、晴景、謙信、景勝と上杉の一族が居城。上杉謙信はこの城を本拠として治世を行い、各地を転戦して回りました。 空堀や土塁が今も残る春日山城跡は国の指定史跡になっており、「日本100名城」のひとつに数えられます。

山の中腹には1969年、大河ドラマ『天と地と』の放送に合わせて建てられた上杉謙信公像があります。また、春日山城下では毎年8月中旬に「謙信公祭」を開催。上杉謙信の遺徳を偲び、当時の高田市、直江津市、春日村(いずれも現在は新潟県上越市)の各青年団の主催により始められたお祭りで、「出陣行列」や「川中島合戦の再現」、「鉄砲隊の実演」などが行われます。

敵にも味方にも信頼された謙信公

上杉謙信は、好敵手・武田信玄に塩を送った故事に代表される「義の武将」として知られています。 上杉謙信は生涯何度も戦場に赴きますが、それは私欲というより「自国を守る」「救援を請われた」「将軍の命を受けた」ことが主な理由でした。そのため、他の武将のような領土拡大第一主義に走らなかったといえます。 当時の武将は、同盟を結んだ相手や主従関係を裏切ることなど、日常茶飯事。刀を交えた北条氏康や最大のライバルである武田信玄ですら、上杉謙信の義理堅さや約束を破らない姿勢を高く評価しています。

下剋上が当たり前の戦国時代において「義を貫き通した」武将であることが、上杉謙信が敵将からも評価され、今も人気を誇る理由と言われています。 自分の信念を曲げることなく、乱世を駆け抜けた上杉謙信。彼の史跡を巡ることで、自らの仕事や生き方に活かせる教訓が得られるかもしれませんね。

参考記事

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