新潟県の郷土料理・わっぱ飯の「わっぱ」って何?

「わっぱ飯」は、数ある新潟県の郷土料理のひとつで、海山を問わず、新潟県のさまざまな食材が、薄く削った杉やヒノキの板から作られたすし桶を小さくしたような容器、「わっぱ」にたっぷりと並んでいるのが特徴です。

今ではあまり見かけませんが、日本では薄く削った木材を曲げて作る曲げ物と呼ばれる容器を、古代から日用品として使ってきました。その歴史は奈良時代にまでさかのぼり、木こりが桜の皮を用いて弁当箱を作ったのが始まりだといわれています。時代が下るにつれて、弁当箱のほかに、おひつやふるい、裏ごし、蒸し器など、いろいろな道具が作られるようになりました。

曲げ物の生産が盛んになったのは、江戸時代です。久保田藩の大館城主だった佐竹西家は、困窮していた家中や領民の生活を向上させようと、領内の豊富な秋田杉を利用して、曲げわっぱ製作を奨励。下級武士の副業や内職で作られた製品は酒田や新潟、関東へも運搬され、広く流通していきました。

江戸時代、寺泊山田地区(現在の長岡市)は曲げ物の生産地として栄え、漁師や農家における冬期の生業として、ふるいや裏ごし作りが盛んでした。江戸時代末期には、ふるい業組合も存在したそうで、新潟県内や他県のふるい作りのルーツになったといわれています。しかし、時代の変化ともに、少しずつ需要が減少します。1960年代には10 数軒あった製造元ですが、現在、その技術を伝えているのは「足立茂久商店」1軒のみだそうです。なお、寺泊山田の曲げ物は、長岡市の無形文化財(工芸技術)に指定されています。

わっぱが弁当箱やおひつに用いられた大きな理由は、木材の吸湿性や通気性によって、ご飯や食材の美味しさを保てるということにあります。また、外気温に影響されにくく、殺菌・抗菌効果も有しているため中身が傷みにくい、においが漏れにくいことも、わっぱが食材を入れる器に適している理由だといえます。

稀代の美食家による「新潟らしさ」溢れるわっぱ飯

食材の魅力を引き出す器を用いた新潟県の「わっぱ飯」は、薄めの出汁で炊いた米どころのごはんに、鮭やイクラをはじめ、カキや鶏肉、カニ、うなぎといった季節の具材を盛って蒸しあげたものです。ふたを開けた瞬間、湧き上がる湯気から立ち上がる食材の香りは否応なく食欲をそそり、口に入れると、ほくほくのご飯と旬の味を堪能できます。

新潟ならではのわっぱ飯は、1952年、江戸の風情が残る古町にある和食店「田舎家(新潟古町本店)」の初代店主、食通として知られた吉沢喜一氏の考案から生まれました。吉沢氏に意見協力し、開発、商品化に助力したのは、芸術家であり、稀代の美食家の北大路魯山人(きたおおじろさんじん)です。魯山人は、書や篆刻(てんこく)、日本画の分野で才能を認められた一方、料理研究にも注力しました。料理をより美しく盛りつけるための器作りに取り組み、中でも志野、織部、備前などに独自の作調を示しました。さらに1925年には東京に、自ら顧問兼料理長を務める会員制の料亭「星岡茶寮」を、1927年には北鎌倉に「魯山人窯芸研究所星岡窯」をオープン。美食家としても大いに名を馳せました。なお、魯山人は、人気グルメ漫画『美味しんぼ』に登場する海原雄山のモデルとしても有名です。

多彩な才能を発揮した魯山人監修の「わっぱ飯」は、今や新潟県を代表する郷土料理になっています。中でも人気を博しているのが、わっぱ飯はもちろん、のっ平(のっぺ)、かきのもと(食用菊)、旬の新潟料理が満喫できる魯山人わっぱ膳。また、田舎家には魯山人が 吉沢氏に贈った志野焼平皿ほか、貴重な作品が残されているなど、店内では魯山人の足跡を感じることもできます。

新潟県の食と人のつながりが凝縮された「わっぱ飯」

海の幸だけでなく、山の味覚も堪能できる「わっぱ飯」をはじめ、新潟県には自然が育む山海の味覚を活かした郷土料理がたくさんあります。それらは北大路魯山人をはじめ、さまざまな人々とのかかわりから生まれ、食のみならず新潟県の文化に影響を与えてきたといえるでしょう。Iターン、Uターンも、新潟県を活性化するきっかけになるかもしれません。にいがた就職応援団CAREERでは、そんな出会いを積極的にご提供いたします。