「西洋梨の貴婦人」新潟県特産のル・レクチェ

ル・レクチェ――。芳醇な香りと上品な甘さ、ジューシーでとろけるような食感。一口食べれば手が止まらなくなる高級果実。
そのまま食べるのはもちろん、ケーキや焼き菓子、ジュースやコンフィチュールなどさまざまな食べ方があり、ギフトとしても喜ばれる新潟県の特産品です。そういえば昨日行ったスーパーでも、新潟産洋梨ル・レクチェ味の缶入りチューハイが最前面に並んでいました。

西洋梨といえばラ・フランスが有名ですが、ル・レクチェはその10分の1ほどしか生産されていない希少品種で、そのほとんどは新潟県の信濃川流域一体で栽培されたものです。ここでは、栽培地が限られる理由と、ル・レクチェの歴史を紐解いていきたいと思います。

「ル・レクチェ」が新潟県で栽培される歴史

ル・レクチェが新潟県で盛んになるまで

ル・レクチェは1882年頃にフランスで交配育成され、誕生した品種です。新潟県にやってきたのは1902年のことで、当時の日本が軍事資金の調達強化による不況に陥り、果実は贅沢品でした。

当時の新潟県白根市で日本梨の生産や販路拡大に携わっていた小池左右吉氏は、業績不振に頭を痛めていました。そこから一念発起し、海外の富裕層に日本梨を販売するルートを開拓するためにウラジオストクへ調査に出かけたのです。30種類あまりを輸入して吟味した結果、出会ったのがル・レクチェ。栽培を始めた当初は生産が安定せず、徐々に衰退してしまいましたが、その美味しさから、自家用にル・レクチェの木を残している農家がありました。それが高級料亭のデザートとしてデビュー。芸者や美食家にも注目されたことで知名度も上がり、栽培への取り組みが強化されたのです。

小池左右吉氏が日本にル・レクチェを持ち帰った当初、詳しい栽培方法は分かっておらず、手探りで試練の連続だったと言います。開花から収穫まで6ヶ月以上かかり、その後は40日ほど追熟が必要。とにかく手間がかかり、天候の影響を受けるリスクも高いなど、栽培の難易度は高かったそうです。発祥地であるフランスでも現在では栽培されていないのは、このためです。日本梨を手掛ける農家たちとの話し合いを経て栽培は徐々に軌道に乗りましたが、それでも出荷量はわずかでした。しかし、その味わいが美食家たちに支持され、販路を守ることができたのです。

「新潟県」で栽培が根付いた訳

信濃川が育んだ肥沃な土地は、水はけもよく、もともと日本梨を栽培していたことからも分かるように、梨栽培に適した土地です。

高値で取引される人気フルーツとなったル・レクチェを目の当たりにし、生産を試みた他県の農家も少なくありません。ですが、なぜか新潟県で育ったル・レクチェの美味しさを超えることができず、他県で栽培を続ける方は減り、現在に至ります。県の協力もあって生産量は年々向上。お歳暮シーズン真っ只中の12月が最盛期ということもあり、現在は新潟県が誇る贈答品として親しまれています。

誇れる新潟県の名産品を守る

一次産業によって私たちの生命線「食」が支えられていることは誰もが知っています。ですが、農業従事者数は下降の一途。とは言え、小池左右吉氏が新潟県の名産品を生んだように、農業はクリエイティブでやりがいのある職業です。新潟県では農業やそれを支える多くの産業があり、「やってみたい」を叶える土壌があります。新潟県にお住まいの方、U・Iターン転職を希望される方は、お気軽にご相談ください。