信濃川に架かる、新潟市のシンボル

新潟市の中心部を通ると、6つのアーチが連なった、石造りの大きな橋が架けられているのが見えます。

新潟市のシンボルのひとつであり、国の重要文化財にも指定されているこの萬代橋は、明治19年から長きに渡り県民を支えてきた県民にとって欠かせない橋となっています。
この萬代橋の歴史について今回はご紹介していきたいと思います。

萬代橋の歴史

萬代橋は、明治19年、新潟市街とその隣にある港町、沼垂町(現在は合併して新潟市)を結ぶために架けられました。
初めは個人で管理している橋だったため、通行料は有料で通るためには1銭を支払う必要がありました。
やがて鉄道の開通により交通の要所となったため、萬代橋は個人から新潟県の管理となったことで、通行料も無料となり、より多くの人々が行き交うようになりました。

そんな萬代橋でしたが、あるとき悲劇が訪れました。
明治41年3月、新潟市で大きな火災が発生し芸妓屋から出火した火が萬代橋にまで広がり、当時木造だった萬代橋の大部分が焼失してしまいました。
この火災により通行不可能になってしまいましたが、多くの人に不便が生じたため、県はすぐに新しい橋を架けることを決定しました。
焼失から1年5ヶ月後の明治42年12月、初代より幅が約60cm広くなった二代目萬代橋が架けられました。

更に昭和2年には、信濃川の川幅の縮小によって強度の高いRC(鉄筋コンクリート)造の永久橋に架け替え可能となったことをきっかけに、老朽化の進んだ萬代橋は再び架け替えを行うことになりました。
2年後の昭和4年、アーチ型に御影石の装飾を施した美しく立派な橋が完成しました。
この三代目の橋が、現在の萬代橋です。

「萬代」の意味と、萬代橋に込められた願い

萬代橋は「ばんだいばし」と読みますが、架橋当初は「よろづよばし」と呼ばれていました。
「よろづよ」とは「永世(永久)」という意味で永久に、いつまでも新潟の発展に尽くすようにとの願いから「萬代橋」という名前が付けられたのだそうです。

その願いの通り、萬代橋は新潟の発展に大きく貢献しました。
そのひとつが、新潟市と沼垂町の合併です。

合併前、新潟市と沼垂町は立場の違いから対立しており、なかなか合併に進みませんでした。しかし、ある日沼垂町で火災が発生し、その消火応援に新潟市が駆けつけました。この時、萬代橋を通って消火応援に行ったことが二つの市町村が歩み寄るきっかけのひとつになったと言われています。

また、昭和39年に起こった大規模な地震である新潟地震の際にも、他の架けられたばかりの橋が次々と崩壊する中、萬代橋はしっかりと耐え抜き、被災者への物資の輸送経路として重宝されました。

萬代橋は誕生からずっと新潟を支え続けてきたのです。

まとめ

2016年に生誕130周年を迎えた萬代橋は、現在もしっかりと新潟市の日々の交通を支え、通る人々を見守り続けています。

働き者の萬代橋に感謝しつつ、これからも末永く見守ってもらえるよう、大切に利用していきたいですね。